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3/16/2005
優しさと愛が溢れる手
marieさん
 
 私は地中海のとある小さな島に住む、白い衣を身に着けた17才の少女であった。
名前はレティシアと言った。既に結婚していて、今3か月になる男の子を抱いている。その手が重い。私の気持ちもまた重い。その子は生まれた時から病弱で、元気のない子だった。
今、私の手の中でもぐったりとしたままで、原因もよくわからない。
夫(今生の友達)は船乗りで優しい人だが、仕事のため家を空けることが多く、私たち家族をあまりかまう事が出来ない。近くには私の父(今生の弟)、母(今生の母)や妹(今生のもう一人の弟)もいて私達を気遣ってくれているが、子供の体の事はわからずどうする事も出来ないでいた。
それでもなんとか周りの協力を得ながら自分なりに子育てに励んでいくうちに年月は経ち、子供も成長するにつれてだんだん丈夫になっていった。
23才の頃、私もようやく子育てに自信がつき始めた頃、夫の仕事が変わり以前のように度々家を空けるということもほとんどなくなった。私達は一緒に過ごす時間が多くなり、より充実した日々を送っていた。

 30才の頃、私は再び身ごもっていた。ある日、家に一人でいた時に、私は2階から階段で下りようとしたら、突然目まいを起こし、気が付くと其のまま階下へ転落していた。
その時にお腹を非常に強く打ってしまったショックで、残念ながら流産してしまった。
私はその悲しみでしばらく立ち直ることができず、明けても暮れても床に伏せたまま泣き続けた。夫も家族も皆、深い悲しみにくれ、私を精一杯なぐさめようとしてくれた。
しかし、いくら泣いて涙が枯れたかのように見えるようになっても、失ってしまったわが子はもう戻らない。
そう気が付いてから、私は少しずつ自分の中で辛い事実を受け入れていく努力をした。私にはすでに大きくなった最初の子供がいる。その子の笑顔が何よりの支えとなってくれた。

 子供の手も少し離れたので、何か始めてみようと思い立った私は、自宅の傍の土地を借りて、少しずつ野菜や花を育ててみる事にした。
最初の頃は体力の許す限りでささやかに行っていたが、続けていくうちにおもしろくなって、様々な花やハーブや自分達が食べる分だけの野菜を育てていった。
そうするうちに、私自身も体力がついて活動的になり、子供を失った悲しみからも、表面的には解放されたかのようであった。

 42才の頃、いつもよく散歩していた森の中で、私は不思議な体験ものを見た。
森の奥深くの小さな泉の傍に、なんとなく気になって立ち寄ると、あろう事か水の上に一人の女性が立っているのが見えた。
彼女はすらりとして美しく少し青白い肌をして、頭を白くて長い布でおおい白くて長いドレスを着ていた。何処となく憂いを帯びた大きくてきれいな瞳は、何も言わない彼女の心の中を静かに強く伝えているようだった。まるで私に何かを思い出して欲しいと訴えかけている気がした。私は不思議な気持ちになりつつも、何故かこわいという感じは全くしなく、むしろ彼女に出会えた事が嬉しいとすら思えた。

 その日を境に私の内面には何か大きな変化が起こり、以前とはものの感じ方などが違ってきたようだった。私の体が常にポカポカとして温かく、目を閉じて心を静めると自分の中にキラキラとした虹色の光を感じる事が出来た。
とても不思議な、そして幸せな感覚! 私の体はまるで羽が生えたように軽くなったみたいだった。
 40才を過ぎていたにもかかわらず、私は再び少女に戻ったかのように活き活きとして、毎日楽しく過ごしていた。
やがて、信じられない事が起こった。
なんという事か、私はまた身ごもっていたのだ!
自分でもこれには本当に驚いたが、間もなく喜びに変わった。やがて過去の痛みも少しずつ和らぎ、私は可愛い女の子(今生の友達)を授かった。
その子はとても丈夫ですくすくと育っていった。

 50代になった頃、かってはとても健康だった夫の体が急に衰えてきた。
やがて病の床に寝たきりになってしまった彼に対して、私ができることは看病をしながら彼の体の痛む所に、時折そっと手を当てることぐらいであった。
彼は私の手に触れられたところがとても温かく、身も心も安らいでとても気持ちが良いと言ってくれた。
そのような生活が長く続いたが、私といる限り夫は癒されている様子で、あまり苦痛を感じてはいないようだった。

 月日が経ち、やがてほとんど眠ったまま意識のない状態だった夫が、ある朝、急に目を覚まし意識をとり戻した。
驚いている私に彼は微笑んで、一言「ありがとう」と言い残し、やがて再び眠るように逝ってしまった。
私は深い悲しみにくれ、来る日も来る日も泣いてばかりいた。
その後、私は残された日々を子供と一緒にささやかに暮らしていた。

 70才を過ぎた私は娘だけと生活をしていたのだが、何故か同時におおくの魂と過ごしている気がしてちっとも寂しくなかった。
亡くなった夫や両親、そして守護霊などの支えを受け、現実の世界で人と接するように、彼らと接するのがあたりまえのようになった。
それまでのあらゆる苦しみ、悲しみも、すべて自分の中で受け入れられる気がした。
そんな半ば夢見心地の日々のある朝、私はごく自然に眠りに落ちるようにして、ついに息絶えた。それはあまりにも自然で何の苦痛も感じなかったので、暫くのあいだ、本当に自分は死んでしまったのかすらよくわからないままだった。
少しずつ事実がわかり始めると同時に、私の心の中には表面的に消えたようにみえた過去の辛い記憶が、しこりのようになってまだ残っていることに気づいた。
私はどうしても誰かにそれを伝えたかった。

 私はその後、何度かの転生を繰り返して、ある女の子の中に入っていった。私の中のお腹の痛みを癒して欲しいという思いから、彼女といる事にした。

 彼女はやがて成長すると、お腹にしこりが出来て、体に不調を覚えるようになった。
なんとかその苦しみから逃れようと、様々な方法を試みて、時には大変辛い目にも会ったりした。
そのしこりは、彼女の中にいるレティシアがかって持っていた痛みの記憶でもあると同時に、彼女自身の痛みの形・・・自分を女性として、自分自身として受け入れられないこと、自分や周りの人々に対する思い通りにならない事についての内なる強い怒り、また大人の女性としての責任を負いたくないという甘えからくる気持ちなど・・・・でもあり、それらが積み重なって、彼女を苦しめていた。
しかし彼女は苦しんだ分だけ、それらの痛みを自覚する事ができたのも事実だった。
苦しみをなくそうとして様々な努力をして、様々な人に出会う中で教えられた事だった。
おそらく、それがなければ気づかなかったかも知れないことだった。
そういう意味では彼女は幸いのだった。

 やがて、レティシアは彼女に伝えるべきことは伝えたと悟った時、彼女に別れを告げて、遠い彼方の天界へと戻ることにした。
レティシアは微笑みながら、幸せそうに天界へと消えていった。

追記
 今、私と同じく子宮筋腫やその他の婦人科系のトラブルに悩む女性は少なくないそうです。その治療法は医術や薬に頼らざるをえないところも事実でしょう。
それらにすべてを託さなくてはならない場合でも、それだけに頼らず同時に心の内面や更にはスピリチュアルな面からも、自分を見つめ直してみることも良いのではないかと思います。
結果はどうであれ、そのような試みの過程で何かに気づくことがあるかもしれません。
同じような悩みを持っておられる女性の方々が、一人でも多く素晴らしい気づきを得る事によって、一日も早く苦しみから解放されますように願っております。
私にこのような体験のきっかけを与えて下さったれもん先生に、とても感謝しています。
本当にお世話になりました。ありがとうございます。

  
 marieさんはご主人の転勤で転居されますが、これまでに何度も過去世において自分やご家族をヒーリングによって癒してきたことを想いだされています。
レティシアの時もご主人を癒した事を想いだされ、今回はレイキを習得なさいました。
彼女の手から溢れる愛とエネルギーは、周りの方々を癒していってくれることでしょう。
                             (れもん)