|
いつも私は情景としてはまったく見えないのですが、その男の人の右手が無いのははっきり感じました。
場所はスパルタ。その男性セバスチャンは戦場で不利な配置にいました。
そのために右手を切り落とされてしまいました。そして、どうやら死なずに生き延びてしまったようなのです。でも、もう兵士としては使い物になりません。
後で調べてみたら、当時のスパルタは男性は兵士となるために、親と離されて教育され、虚弱児として産まれてくると山に遺棄されるようなところでした。戦場で臆病者としてみなされたら、共同体から排除されて生きていかなければならなかったのです。
そんなところで周囲の目や、蔑みとも戦い、不虞として生きていかなければならなかったことは、死ぬことより辛かった。
右手を失ったことで、死んでいく仲間もいる中で自分は生き残ってしまった。
それが、どういうことなのか、ずっと自問自答しながら苦しんでいました。
自分にとって右手とは何だったのだろう。皮肉なことに自分の息子も同じ境遇になり、自殺してしまい二重に苦しんだようです。
こんな姿になって生きていくのはなぜだろう。
他民族と戦い、殺し、勝つことが正義の中で、自分は価値がない人間なのだろうか。
でも、結局スパルタは滅びました。無意味な殺し合いでした。
この人生でなにを学んだか。
「戦うことの無意味さ、上官を許すこと、忍耐、奉仕の精神だ」と、セバスチャンは言っていました。
なんとたくさんの学びがあったことでしょう。その代償が右手だったのです。「生きているときにはわからなかった」と彼は言っているように思います。
家に帰ってから今までを振り返ったとき、思い当たることがたくさんありました。
駆り立てられるように難民キャンプに行かされたこと、病人や体の自由がきかなくなった人たちに関わる仕事をしていること、これもみんな意味のあることだったんだ。
苦しんだからこそわかることもある。私にはセバスチャンがそう言っているように思えました。
そしてその苦しみに負けず、生き抜いていった過去の自分に、私は誇りを持ちました。
今、私は選択肢がたくさんありすぎ、かえって不幸なのかもしれません。
私が今、獲得している自由と選択肢。これは、前世の自分を含んだ過去に生きた人たちの犠牲と悲しみ、苦渋の上に重ねられていることをつくづく感じました。
今も、この地球上には同じような無意味なことが繰り返されている。
進化するためには、この悪循環を断ち切らなければならないということを、私は目覚めた側にいて、自分にできることからしていきたいと思っています。
何をするかは、はっきりまだわからないけど、必ずわかる予感がしています。
今日は貴重な体験をありがとうございました。迷いがひとつ消えました。
正義感に溢れたコスモちゃんが、人々の役に立ちたいと選んだ仕事も納得できました。
自分の想いと現実の狭間で悩んでいた問題も、前世との繋がりがあった事を知り、さらに大きく成長したコスモちゃんの瞳は愛で溢れていました。
(れもん)
|
|